Nozomi Note

落合の読書メモと思考の記録です。ゆるーくやっとります。

文藝春秋「日本の論点2019」

橘玲「保守でもリベラルでもない安倍一強の理由は「ぬえ」のような多面性にある」

 現代日本の「保守」と「リベラル」を理解する上で決定的に重要なのは、40代と50代の間に政治的な「断層」が生じていることだ。

 読売新聞社早稲田大学現代政治経済研究所が世代別の政党観を調べっところ、60代以上ではもっとも保守的なのが自民党で、旧民進党が中道、共産党がリベラルとなった。これはメディアなどが当然の前提とする保守vsリベラルの構図と同じだ。

 ところが政党観は年齢が下がるにつれて変わっていき、18〜29歳ではもっとも保守的なのが公明党、ついで共産党、旧民進党で、自民党は中道、もっともリベラルなのが維新になっている。驚くべきなのが今の若者が共産党を右派、自民や維新を左派と皆しているのだ。

 日本共産党は、憲法改正や安保法制はもちろん、特定秘密保護法共謀罪、消費税引き揚げから働き方改革築地市場の移転に至るまであらゆることに反対し、現状変更を眼鏡に拒絶することで、有権者の3%程度の岩盤支持層を獲得している。高齢者はこの方針をリベラルと評価するが、若者には保守としか映らない。

 この興味深いデータは「若者が右傾化している」というのが全くの俗説であることを示している。若者は昔も今も一貫してリベラルで、かつてリベラルとされていた政党が右傾化していたのだ。こうしてリベラルな若者は、より自分たちの政治的主張に近い自民党=安倍政権を支持するようになった。

 私たちは右と左が逆になった「鏡の国のアリス」のような世界に迷い込んでしまった。日本の政治を語るなら、まずはこのファクトを押さえておかなければいけない。

世界のリベラル化

 冷戦の終焉とともにバブル経済が崩壊し、1990年代後半には北海道拓殖銀行山一証券など大手金融機関が経営破綻して、戦後日本の繁栄を支えてきた政治・行政・経済の諸制度が耐用年数を超えてきたことを白日の元に晒した。終身雇用・年功序列の日本型雇用も行き詰まり、労働市場では非正規雇用が爆発的に増えていく。ロスジェネと呼ばれる彼らが、正社員の雇用の安定しか考えていない労働組合を見限り、その支援を受ける政党を「保守」とみなすのは当然だ。

 こうした時代の変化にいち早く気づいたのが小泉純一郎で、「自民党をぶっ壊す」と宣言して2001年の総裁選に挑み、熱狂的な小泉旋風を巻き起こして首相の座を射止めた。小泉の劇場型政治を範にしたのが橋下徹で、「大阪から日本を変える」をスロー頑とし政治に新風を巻き込んだ。

 左派の知識人は小泉政権を「ネオリベ」橋本と日本維新の会を「ハシズム」と嫌ったが、若い世代にはそれを「改革」と受け止めた。教育無償化を掲げ、女性が輝く社会を目指し、同一労働同一賃金を法制化しようとする安倍政権も、この改革路線を踏襲している。

 全ての国民が高い教育を受けられることも、子供をうんでもハンディキャップにならない社会も、同じ仕事をしているのに待遇が異なる差別をなくすのも国際標準のリベラルな政策で、安倍首相がリベラルを自称するのは間違ってはいない。

 消費増税、TPP協定加盟、原発再稼働などの安倍政権の政策は、リベラルだった民主党野田政権と全く同じだ。人造り革命で提唱した教育無償化は高校無償化の延長で、安倍政権はますます民主党政権に似てきている。長期政権の秘訣は、民主党時代を全否定するのではなく、丸ごと引き継いだことにある。

 なぜこんなことになるのか。その理由は極めてシンプルで、他に政策の選択肢がないからだ。急速に少子高齢化が進む日本経済は空前の人手不足で、高齢者と主婦を労働市場に参入させ、外国人労働者を増やさなければ回って行かない。

 人生100年時代を迎えて、定年が60歳のままなら老後は40年もある。1000兆円もの借金を積み上げた日本に、ますます増え続ける高齢者の面倒を見る余裕はない。

 保守かリベラルかにかかわらず、誰が政権をとっても、夫がサラリーマンとして働き、妻が子育てに専念する日本型雇用を破壊し、一億総活躍社会を目指す意外にないのだ。

 イギリスのEU離脱を決めた国民投票トランプ大統領の誕生以来、世界も日本も右傾化しているのが常識となっている。しかしこれは逆で、世界を覆うのはリベラルの大潮流で、日本は半周遅れでそれに追随しているのではないだろうか。

 自民党に所属する保守派の女性国会議員が雑誌への寄稿で、「LGBT」に対し「彼ら彼女らは子供を作らない、つまり生産性がないのです」と述べたことが厳しい批判に晒された。かつてならこうした主張はちょっとした言い間違いですまされただろうが、今では国会前で議員辞職を求める抗議集会が行われ「そんなにおかしいか」という特集を組んだ雑誌は批判を浴びて休刊してしまった。

 東京医科大学が入試の得点調整で女子受験生の合格者を抑えていた問題も、10年前なら話題にすらならなかっただろう。欧米を席巻した#MeToo運動も同じで、人権や性別、性的指向などで人を差別することは強く嫌悪されるようになった。

 敬虔なカトリックアイルランド国民投票では、圧倒的多数で中絶合法化が決まった。日本でも保守派の名だたる論客たちが天皇生前退位に反対したにもかかわらず、世論調査では9割近くが退位を支持した。

 やりたいことは自由にできる、やりたくないことは強制されない、という自己決定権は、リベラルな社会の根本原理だ。今では宗教や伝統を理由に権利を制限することは認められなくなった。だとしたら、日本の右傾化とはなんなのか。私はそれを日本人アイデンティティ主義だと考えている。

 アイデンティティは「社会的な私」の核心にあるもので、徹底的に社会的な動きであるヒトにとって、それを否定されることは身体的な攻撃と同じ恐怖や痛みをもたらす。人るじが進化の大半を過ごした旧石器時代の狩猟採集生活では、集団から排除されることは直ちに死を意味した。自己は社会=共同体に埋め込まれているのだ。

 アイデンティティは、「俺たち」と「奴ら」を弁明する指標でもある。それに最適なのは、「自分は最初から持っていて、相手がそれを手に入れることが絶対に不可能なもの」だろう。

 黒人やアジア系はどんなに努力しても白い肌を持つことはできない。これは貧しい白人たちの間で「白人アイデンティティ主義」が急速に広まっている理由だ。彼らは人種差別主義者というより「自分が白人であること以外に誇るもののない人たち」だ。

 それと同様に「自分が日本人であること以外に誇るもののない人たち」がネトウヨだ。彼らの特徴は愛国と反日善悪二元論で、愛国者は光と徳、反日売国は闇と悪を象徴し、善が悪を討伐することで日本が救済される。なぜならそれが、自分たちが置かれた世界を理解する最も簡単な方法だから。

 ネトウヨに特徴的な在日認定という奇妙な行為もここから説明できる。自分たち=日本人と意見が異なるのは日本人でないものに違いない。事実かどうかに関係なく、彼らを在日に分類して悪のレッテルを貼れば善悪二元論の世界観は揺らがない。彼らは、複雑なものを複雑なままに受け入れることや、自分の中にも悪があり、相手が善である可能性に耐えられないのだ。だが、人種と違って国籍は変更可能だ。こうしてネトウヨは、日本人でないものたちが帰化して日本人にならないよう外国人参政権に強硬に反対し、朝鮮半島に叩き出せと叫ぶようになる。

 今上天皇朝鮮半島にゆかりのある神社を訪問した時、ネットでは天皇反日左翼とする批判が現れた。従来の右翼の常識では到底考えられないが、この奇妙キテレツな現象も「挑戦と関わるものは全て反日」という日本人アイデンティティ主義から理解できるだろう。

ぬえのような政治姿勢

 欧米を中心にアイデンティティ主義=ポピュリズムの嵐が吹き荒れるようになった背景には、グローバル化と知識社会化によって主流派の白人が中間層から脱落しつつあるという大きな変化がある。日本の場合は、アジアで最初に近代化を達成し、圧倒的な経済的豊かさを実現したという自信が、中国韓国の台頭によって脅かされ、大きく揺らいでいることにある。

 今や中国のGDPは日本の倍以上あり、国民の豊かさを示す一人当たりGDPでもシンガポールや香港に大きく水を開けられ、韓国に並ばれようとしている。それによって損なわれた自尊心を回復するために、書店には嫌韓・反中本が並び、外国人が「日本すごい」と絶賛するテレビ番組ばかり作られるようになった。

 しかしこれは、日本に関わりのないテーマ、例えば夫婦別姓同性婚、女性の社会進出などに関してはリベラルで構わないということだ。嫌韓・反中と同様にLGBTを生産性がないと批判した女性議員は、ここを見誤って地雷を踏んだのだ。

 日本社会の底流にあるのが、リベラル化と日本人アイデンティティ主義だと考えれば、安倍一強の理由がわかるだろう。

 安倍首相は既存のリベラル派知識人やマスコミと敵対することで、彼らを嫌悪するアンチリベラル(朝日嫌い)のネトウヨ層を掴んだ。これが政権の岩盤支持層で、森友・加計問題でどんな疑惑が出ても一切影響しないばかりか、かえって支持は強まっている。トランプ支持層も同じだが、政権への批判は「俺たち」への攻撃だとみなされるのだ。

 その一方で安倍政権は女性が輝く社会、同一労働同一賃金などのリベラルな経済政策でウィングを左に伸ばしていく。この戦略が有効なのは、安倍政権と競合する有力な保守勢力が存在せず、これ以上右にウィングを伸ばしても新たな支持層は開拓できないが、リベラル側には広大な肥沃が広がっている体。

 真正保守の安倍首相は、2014年以降靖国神社への参拝を見送り、東京裁判批判など歴史修正主義的な言動を控え、いかなる譲歩も許されないとされた従軍慰安婦問題では朴槿恵前韓国大統領と採集合意を結んだ。保守派の中にはこうした変節に不満もあるだろうが、他に選択肢がない以上、安倍首相を支持する他ない。

 そう考えれば、安倍政権を保守かリベラルかの二分法で議論することに意味はない。長期政権の秘密は、ネトウヨに対しては日本人アイデンティティ主義、経済政策ではリベラル(ネオリベ)、高齢者や旧来の支持層に対しては保守、という多面性にある。

 各種の世論調査では、安倍政権は若者に人気がある一方で、年齢が高くなるほど支持率は下がる。それは安倍政権の進めるネオリベ的な経済政策が高齢者の既得権を破壊するからだろうが、それと同時に捉え所のない「ぬえ」のような政治姿勢が真っ当な保守派には受け入れ難いからではないだろうか。

 18年9月に行われた総裁選で安倍首相は下馬評通り三戦を決めたが、石破茂が地方党員票の45%を獲得したことからわかるように、積極的に支持されているとも言い難い。国民が求めているのは安定で、安倍政権でなくとも別に構わないと思っているのだ。

橘玲